旧佐藤彦五郎邸(日野館)非公開の部屋 見学報告
平成 15年 5月 22日(木) | |
旧佐藤彦五郎邸の非公開の部屋を見学できるという前人未到?&垂涎ものの企画が、5月22日(木)に
日野市商工経営研究会主催で行われ、同好会からも局長・伊東先生始め10人以上もの大人数であったにも関わらず、
参加させていただくことができました。 皆様ご承知のとおり、旧佐藤彦五郎邸(現・日野館)は、天然理心流の佐藤道場が敷地内にあり、 近藤さんや総司などが出稽古に訪れては稽古をつけた場所であると同時に、土方副長が「石田村の歳さん」だった頃に、 姉の嫁ぎ先であり、義兄かつ従兄弟でもある彦五郎さんの実家でもある気安さからよく訪れていた場所であり、 市村鉄之助が土方さんの遺品などを届けに訪れ、何年間か匿われていた場所でもあります。 その非公開の部屋こそが、歳さんが昼寝をしていた部屋や鉄之助が寝起きしていた部屋なのですから、 もう正しく夢のような、という一言に尽きます。 現在、日野館として現役で使われている旧佐藤邸は、50年ほど前に現所有者である宮崎家が買い取り、一部改修し (但し、襖や調度品類はそのまま維持することに努められたそう)、その改修が終わった折、ある団体が見学して以来、 始めての団体見学だと思うと、案内役の宮崎さんがおっしゃっていました。 中に入ってすぐ正面の18畳もの広さのある部屋に、食事の席が設けられており、挨拶の後、食事会となりました。 蕎麦のコース料理に舌鼓を打ちながらの歓談の後、いよいよ待ちに待った非公開の部屋の見学です。 | |
【閉まっていた障子を開けてくださるという嬉しくも有難いお心配りにとても感激しました。これで昼間だったら完璧だったかも?】 | |
食事中は閉められていた背後の木の戸が開け放たれ、一歩足を踏み入れた瞬間、室内の空気がどこかひんやりとしていて、
時間を遡って、時が止まったような感じを覚えました。 ここで、歳さんが寝転がって昼寝をしたり、甥っ子の彦吉が転んで怪我をした時、 跳ね起きざまの一足飛びに飛び出して行って抱えあげて座敷に入れ、 あれこれと介抱したりあやしたりしていた部屋かと思うと、感慨無量な心持ちでした。 ちなみに、この部屋の障子を開けると、眼前には玄関がありますが、今のこの玄関は幕末当時には無かったもので、 明治天皇が立ち寄る事が決まった際に急遽付けたものらしい、との事です。 したがって、当時、土方さんがごろ寝していた時は玄関ではなく、障子から先はすぐ庭だったという事になります。 広さ十畳の室内には、幕末当時からあったものかもしれないと思わせるような古びた感じの調度品(茶箪笥?)も 置かれていました。 | |
隣の二部屋はいずれも6畳間で、歳さんが昼寝した部屋の隣の部屋には佐藤彦五郎さんが受けた天然理心流の切紙が
額に納めて掛けられていました。その隣、一番奥の6畳の部屋が、市村鉄之助が匿われていた部屋だということです。 | |
土方副長が過ごした家で、鉄之助は何を思い、過ごしたのでしょう。 後に西南戦争で亡くなったとされる鉄之助の当時の心情は察するに余りありますが、 土方さんが大切に想っていた人達と共に過ごし、請われて土方さんの話をしたり、昔の歳さんの話を聞いたりする事も あったであろう日々が、つかの間でも彼の心を安らげてくれたものであってほしいと、思わずにはいられませんでした。 | |
これらの部屋と、廊下をはさんで対面に位置する床の間は、十二畳半もあり、
家全ての部屋の襖を外すと100畳規模の大広間にする事ができ、日野宿名主として人々を集めて話をする時などに
使用したらしいとのことです。 したがって、本来は柱があるべき場所に柱が無く(現在は屋根がだいぶ歪んできている為、鉄之助使用の6畳間と 隣の6畳間の間の襖は開かない部分があるそうですが)襖自体が家を支える柱の役割をしているのだそうです。 また、廊下は板張りが普通ですが、襖を全て外して大広間にする時に、廊下も広間の一部になる様にかどうかは不明ですが、 廊下は畳張りでした。鉄之助の部屋と床の間の間は廊下なのですが畳が張られていました。 当時の面影を色濃く残す建物を個人で維持し続けてこられた宮崎様には、とても大変なご苦労であられた事と思いますが、 そのお陰でこうして見学をさせていただけたのですから、本当に心から感謝したいと思います。 なお、旧佐藤彦五郎邸は先日、日野市が買い取り、「日野宿本陣跡」と名称を変えて、1月10日から仮オープンし、 「新選組フェスタIN日野」が終了後、一度閉鎖し、全面的に改修工事を施した後、平成17年4月に正式オープンの予定。 【日野宿本陣】 入場料 大人250円・小人100円 会 期 平成16年1月10日〜10月31日 時 間 午前10時〜午後4時30分 開館の折には、ぜひ足を運んで、歳さん達に思いをはせてみてはいかがでしょうか。 尚、この「日野宿本陣跡」の名称を「新選組伝承館」とすることを当会では提案しております。 ※写真掲載許可がいただけましたので当日撮影させていただいた写真を掲載させていただきました。 | |
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